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小松耕輔が贈ったピアノが“帰郷”

komatsukosuke@crossfade.jp

 由利本荘出身の音楽家・小松耕輔(1884~1966)が命の恩人に贈ったピアノが、96年の歳月を経て、生まれ故郷の東由利へ帰って来た。ピアノの主は「恩人」の娘の故内山茂子さん(1922~2023)。ピアノが縁で耕輔が教授を務める東京女子高等師範(現お茶の水女子大)に進学。地元の兵庫県で音楽教師を続け、一昨年暮れ、101歳の天寿を全うした。幾多の人間ドラマを刻んだ老ピアノは、耕輔のふるさとでどんな最終章を奏でるのか?

 “帰郷”したのは、ドイツのキャロル・オットー社製のアップライトピアノ。譜面台の下に8個のメダルが埋め込まれており、最後の1個は「1891年ジャマイカ見本市」でのゴールドメダルだ。星霜になめされてくすんだ黒光りに風格がにじみ出る。

ピアノの主は、小松耕輔の最後の教え子となった兵庫県丹波篠山市の内山茂子さん。東京で勤務医をしていた父親がその昔、重症の胸膜炎で運ばれた東京音楽学校(現東京芸術大学)の苦学生・耕輔を無償で治療し、助けてくれた。その後、父は地元で開業。耕輔がせめてもの恩返しにと、1929年に送ってくれたのが、このピアノだった。

 幼稚園児だった茂子さんは、たちまちピアノの虜になり、音楽家を目指して東京女子高等師範で耕輔に師事。卒業後は地元の高校で音楽を教える傍ら、ソプラノ歌手としても活躍した。贈られたピアノでレッスンした教え子は2千人を超える。

 茂子さんは高齢になったことから、ピアノを近所の観光休憩所に寄託、来店者たちが自由に弾いていた。生前、「自分が亡くなったら、ピアノは小松先生の故郷に返してほしい」と遺言。三回忌を前にこのほど由利本荘市へ送り届けられ、東由利総合支所のロビーで余生を過ごすことに。 小松耕輔音楽兄弟顕彰会の小松義典会長は「ピアノには茂子さんの感謝と尊敬の思いが詰まっている。小松耕輔の伝説に新たな1ページが加わった。東由利の音楽振興に有効活用して行ければ」と話している。

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