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小松音楽兄弟

小松耕輔には音楽家の道を志した3人の弟がいました。
その弟たちも音楽家として活躍した人物でした。
弟たちが音楽家の道を志したのは、兄・耕輔の影響が大きかったからでしょう。

東北の小さな山村で生まれた4人の兄弟が音楽会の道をそれぞれ極めることができたのは、秋田県人の辛抱強さと向学心があればこそでしょう。

国民音楽協会には理事長・小松耕輔のもとに弟の平五郎と清が理事として加わりました。

小松 三樹三 (こまつ みきぞう 1890~1921)

平蔵、トミの四男。明治23年生まれ。

帝国劇場管弦楽部に入り、名バイオリニストとして活躍。
大正初期の浅草オペラ座で活躍して、大正オペラの振興に尽くすが、大正10年12月、仙台公演中に32歳の若さで病死。
耕輔の外遊中のことだった。

小松 平五郎 (こまつ へいごろう 1896~1953)

平蔵、トミの六男。明治29年生まれ。

慶応大学経済学部在学中、ワグネルソサイテーの指揮。
1928年(昭和3年)「国民交響楽団」を創設。パドマ合唱団、立教大学交響楽団の創設にも参画し指揮を行うとともに、帝国美術大学、日大等で音楽を教える。
大日本作曲家協会、大日本音楽協会理事を歴任。
戦時中、郷里に疎開し玉米村助役となる。

地元のために「ハタハタ音頭」「由利小唄」「舘合小学校校歌」などを作曲。
歌手・淡谷のり子の「マドロス小唄」などを数多く作曲した。

小松 清 (こまつ きよし 1899~1975)

平蔵、トミの七男。明治32年生まれ。

舘合小学校、京華中学校、東京第一高等学校仏文科を経て東京帝国大学文学部仏文科にすすむ。この間、第一高等学校に在学のかたわら、東京音楽学校の選科に入学し、ピアノを学ぶ。
卒業後は東大、東京芸大、東海大で教授を歴任。フランス文学者と音楽家の双方で貴重な実績を残す。
作曲のほか管弦楽の指揮も行い、ユネスコ国内委員、国際音楽評議会全日本委員長、日本作詞作曲協会長、日本音楽学会理事、全日本鼓笛バンド連盟会長などを務める。
仏文学者としては象徴派詩研究の権威で訳書も多い。

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